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Clap Your Hands Say Yeah の新譜
が出てたので、運良く通りかかったタワレコでゲットできました。非常に安心して聞けるバンド。この人たちこれが天職なんだろうなあって聞いてて思えるバンド。長く続けてほしいなと思うバンドですね。myspaceで全曲聞けます。本国アメリカではインディーズバンドですからね。こういう自由で親切な感じ素晴らしい。
本当に精根尽きるかってくらい疲れたのはいつ以来だろう。基本的に自分を追い込んでもパフォーマンスの上がる人ではないので、本来疲れきるまで無茶したり残留したりするのは非効率なのだが、やむを得ない時もある。
本当に疲れていると目は起きていても全く持って頭が働かなくて、まだまだ直さないと・・・と思っても手が動かないってのも久しぶり。タウリン何グラム投入しても思考停止状態。心残りがないわけではないですが、今回の無茶で、事がよい方向に向かってくれればと願う次第。
ちなみに、自分の研究については学会応募を見送りました。あきらめたというよりは、方向性を変えるべきと判断したからです。半年くらいかけて本腰入れて形にしていければと思います。あー温泉行きたい。
先が見えぬ中ずっとDNPで作業しています。24時間の短さを感じるのは相当久しぶりですね。どうにかならなくても誰も損をしないので気楽ではあるのですが、とりあえずあと一週間がんばります。
we make money not artの記事にMASTABAがちらりと登場しました。確実にこの手の葬送とか故人の記憶にまつわるようなやもやした感じの世界がひとつの研究領域となりつつあります。現在はアーティストよりの人が多いですが、自分は、センセーショナルなコンセプトだけではない、人のためにデザインするものを作っていきたいところです。
話は戻って、何をそう忙しいのかと言うと、MASTABAを完全にリデザインして新しい切り口を取り込んだようなモノをせっせと作っているのです。今年中にいろいろなところに出せればいいなと思い、今せっせと準備をしています。

瓜生(うりう)家の家紋です。今日生まれて初めて知りました。わが家は「うりゅう」ではありません。もとは「うりふ」だそうです。似たような家紋が世の中にいっぱいありそうですが、家紋とかなんかに使いたいですね。一種の自分のアイデンティティだと思います。笑
昨日、新春バーゲンに沸く街の中で考えていたこと。
※ そのうち考えが移り変わるかもしれませんが・・・。
デザイナーの仕事が「何かを作り出して、その結果人々の生活を豊かにすること」だとすれば、ただ、いいものを作っているだけでもだめだし、よくある、「業界自らが流行を演出し、でっちあげて消費者に売りつける」ような姿勢もあまり美しくありません。
服を例に取ってみると、馬鹿高いブランドデザイナーの人は、生活の豊かな人だけが小綺麗な服装をしてくれれば満足なのでしょうか。逆に、どこかのおっさんがスーパーで売ってるようなだれが作ったのかよくわからない(変なロゴとか入った)服を着ていて、特に似合っているとかかっこいいとかそういう次元のお話ではない…そんな状況を見て何も思わないのでしょうか。
センスのいいやつだけがいい服着てればいいとか、センスの悪いやつはどうでもいいとか、わかる人だけがわかればいいというのは、(時としてよい場合もありますが、)デザイナーと呼ばれる人はそういう態度ではいけないと思うのです。
デザイン(機能・見た目・設計・その他含む)のよさは、必ずしも値段とかコストには比例するとは限りません。いいものを安く作る仕組みや工法、素材の組み合わせ・・・などを生み出すのもデザイン力(設計力、意匠力、その他)なのです。
服のデザインをする人なら、たとえ世の中で一番安く売られている服でも「デザインされた」良いものにしていくにはどうするべきなのか、そういう社会にするにはどうすればいいのか、せめて頭の隅でもよいので考えてほしいのです。消費者が悪いわけではないのです。スーパーで1000円で売られている服でも、「安ければなんでもいい」ではなく、人々が豊かになるように、デザイナーの思想が込められた(値段相応に素材とか縫製とかは悪いかもしれないけど)モノであってほしいのです。(もちろん、真剣に考えているなと感じられる会社やブランドもありますよね。)
例を変えると、音楽を作る人なら、大衆が一番身近にふれる音楽の豊かさを真剣に考えないといけないのです。ヒットチャートに乗る半分くらいの、使い捨てでくだらない音楽を目の前にして、わかるひとだけわかるからそれでいいとか、センスの悪いやつはどうでもいいとか、まったく逆だと、とりあえず今売れればそれでいいとか、そういう姿勢で音楽をやっている人がどれだけ多いことでしょうか。多く存在するアマチュアの音楽の作り手はしょうがないとしても、業界をプロデュースするいわば「デザイナー」の人がそういう姿勢であってはいけないと思います。文化を担っているという責任を感じてほしいです。大衆にふれるものほど責任が大きいと思います。
住宅であっても、食べ物であっても、街にあふれるサインや公共広告であっても全て同じだと思います。豊かな社会では、安いものでも美しく、豊かでキレイです。(そういう国も世界には存在しますよね。)街を歩いてる人たちが(たとえ、安い賃金に苦労して働いている人でも)みんな笑顔でかっこよくて、生き生きしている社会だったら、それはとても豊かでしょう?
どこかの政治家が「美しい日本を作る」と言っているのは、実は政治家には無理のある話で、「美しい日本をつくること」はデザイナーの仕事なのかもしれません。逆に、美しいものを普及させるのは実は政治力であったり、戦略力、経済力・・・かもしれません。
自分のような高等教育の中でデザインを学んだ人が、世界の中でどういう役割を担うべきなのか、考えるだけでなく行動に移せる年に出来ればと思います。いいものを作れる人になれるように努力することは変わりありませんが。
ぼんやりとしか覚えていないのですが初夢メモ。
・何かどこかに向かうバスに乗っていた。
・客はそんなに乗ってなかった。
・どこに行ったのかは不明。まさか土善?
・途中で某O先生が乗ってきた。
・「どうも〜〜」っていつもの調子で挨拶された。
・降りたところで目が覚めた気がする。
<まとめ>
よくわからないが、某氏が何かを間違って、電車で湘南台まで行き、かなちゅうに乗って学校に行くなんてことが起きればこれは正夢かもしれない。とりあえずこんな夢を見てしまう自分にとても反省しています。

改めまして、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。・・・じゃなくてですね、さっき気づいてしまったんですよ。うちの玄関に間違ったものが飾られているのをですよ・・・。これ、なんですか?え?龍ですよね?今年、猪ですよね?

犯人はうちの母親でした。なんと、この置き物を猪だと思って置いたようです。何かおかしいな?と思いながら・・・ってこれどうみてもイノシシじゃないでしょ!
ということで、急きょかわいいうり坊君の置き物を引っ張り出してきて飾ることにしました。左、龍、右瓜坊。きっとなんで並べられたのかやつらは解ってないでしょうね。

昨日、川越八幡宮で買った厄除けお守りです。今年は本厄です。厄来るな。あっちイケ。
親父が「三社参りしよう」と突然言い出したので、紅白が終わったくらいの時間に川越の街に出ていきました。まずは一番近い雀ノ森神社へ。小さい神社ですが、年明け前すごい並んでました。
次にいったのが菅原神社。ここは比較的空いていたのでお参りできました。学問の神様らしいので、あの菅原家なのかな。
近くの人が輪になって暖を取りながらお囃子を見ていました。へんちくりんな獅子舞が踊ってました。
空いていたのでお参りできました。初詣。
次に川越八幡宮へ。ここはやばい、超並んでた。先着1000名までに記念品とか書いてあったのですが、とても並ぶ気になれなかったので断念。
ここもお囃子やってました。この太鼓の音とかトンカンチンカン鳴らしている音って、「生」を感じます。大きな火が音をたてて燃えているのもすごく「生」を感じます。
並んでまーす。
今年、厄年(数え年25歳、昭和58年生まれの人ですよ!)だったのを思い出して、お守りを買いました。守ってください。お願い!
次に熊野神社。ここは出店出てた。誰が儲けてんだろう・・・。
最後に蓮馨寺(れんけいじ)。もう鐘つきも終わっていたので閑散とした感じでした。お参りしました。
なんかへんなやつがいました。悪いところをなでると治してくれる書いてあったので、あたまをなでなでしておきました・・・。
帰り道にふたたび雀ノ森によって甘酒をいただく。炎がとても奇麗でした。
もう2時近い時間でしたが、まだ結構並んでました。
と言うことで・・・よくわかりませんが、とにかく今年もよろしくお願いします。皆さまにも神様の御利益がありますように!