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2008年09月16日

ゾウスピーカー

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以前から作りたかった、ゾウ型のスピーカーを作った。ACアダプタや電池で駆動可能、iPodなどにつなげて鳴らせる、アクティヴスピーカー。いわゆるPC用スピーカーの類である。ゾウの鼻がボリュームになっていて、ぐいっと上げると音量も上がる。他の機能は特になし!

僕はいわゆる音響に際限なくお金をかけるタイプではない。もっとも、一部の愛好家を除いてそういう人は少ないはずだ。とはいいつつも、音楽を聴く環境についてはそれなりに思うことがある。

たとえばいい音が手軽に得られるからか、PA用やDJ用の高価なヘッドホンに投資し、それを仰々しく頭にかけた人が街や電車の中にたくさんいる。たしかに携帯オーディオの進化と普及に伴って、各社が競い合って、コストパフォーマンスのよいイヤホンやヘッドホンを発売することはとてもよいことだと思う。

しかし、そういう人たちを見るたびにいつも不自然さを覚える。音楽を聞くときの感動は、おそらく多くの場合、生演奏を聞いたときに一番大きい。もちろん、必ずしもそうでもないこともあるが、少なくとも、仰々しくヘッドホンをかけながら聞くという状態ではないと思う。多くの高品質のヘッドホンを使っても、長時間のリスニングには向かない。だんだん疲れてくるものだ。そもそも、ヘッドホンで音楽を聴き続けること自体が、人間にとって非常に負荷があるからだ。(もちろん、生演奏だって、聞き続けたら疲れるのだが・・・)

そうなると、なるべくスピーカーから出る音で音楽を聴ける環境を整えたい。しかし、それなりの音で聞くためにはお金がかかるのが音響の世界。IPodの馬鹿売れで、一昔前家電量販店で売られたCDとかMDが聞けるミニコンポの類はほとんど姿を消しつつある。(いや、普通に売ってるけど、買う人は減っているはずだ。)その一方、iPod専用スピーカーをはじめ、ポータブルオーディオプレーヤーを接続して音楽を聴くための装置が台頭してきた。

しかし、値段の割にあまりいいものがあまりない。コンセプト倒れのものや、無理に音像を調整したようなものがほとんどである。いい音がするものは当然けっこう高い。もちろん音の善し悪しは人それぞれに好みがあるのだが。

そこで、今回試しに作ってみたのがこのスピーカーだ。なるべく小さく、簡単な設計で、感じのいい音がでるスピーカーが作りたかった。参考にしたのは通販生活の紙筒スピーカーナチュラルダクトと呼ばれる工法だ。いずれも小型で品質とコストパフォーマンスのよいスピーカーを作る試みだ。

音についてはキリがないので、ある程度妥協が必要なのだが、自分の中ではそこそこ気に入る音になった。そして、フルレンジのスピーカーユニットを用いたバスレフタイプのスピーカーなので聞き疲れが少ない。なによりも今回はゾウの形をしていて、ゾウの鼻で音量が操作できるスピーカーを作ることが第一目標であるから、音質は2の次であったのだが。

というのも、このスピーカーを作りたかったいちばんの理由は、よい音で音楽を楽しめる子供向けのスピーカーを作りたいと思ったからだ。子供向けのものだからあまり複雑なものであってはいけない。高価すぎてはいけない。あまりに大きく、重たいものは危険だ。そして何よりも、かわいくないといけない。生活のワンシーンにすんなり入っていける大きさやデザインが必要だ。

話を音楽を聴く環境についてに戻そう。つまり、子供に音楽を聴かせるときに、仰々しいヘッドホンを子供につけて、大音量で音楽は聴かせないだろう。そして、どうせ音楽を聴かせるなら、小さい頃から澄んだ音を与えて、音の楽しさ・美しさを感じて育ってもらいたい。どうせなら、大人になってからも使えるような品質と愛らしさを持ったものがいい。そんなことを思いながら、このスピーカーを作ってみようと思った。

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音響の専門家でもないし、電気の専門家でもないので、このファーストプロトタイプにはまだまだ不完全なものかもしれない。それでも、何らかの形で、このコンセプトが世の中に出せないか、と思っている。もし協力してくださる方がいたら、お声がけ下さい!

※blogのコメント機能を停止しているので、コメントなどはこちらにお願いします・・・。

2008年09月02日

ARS ELECTRONICA に行って参ります

明日から、オーストリアに出張して参ります。ARS ELECTRONICAにてとあるものを展示することになっております。そのうち日本でも展示の機会があるかと思いますので、そのときはドックン・ドッキンしていただければと思います。

という、まさに出国前夜というタイミングで携帯壊れました。明日朝出発でどうにもならないので、ご連絡事項のある方は、gmailなどにください。(daisukeuriu(@)gmail.com)よろしくお願いします。

2008年05月30日

たわいのないことはさぼりがち

たわいもないことを書くと決めてエントリーを再開したのだが、やはり気を抜くと止まってしまう。せっかく更新するので研究活動を微妙にかいま見せてみようかと。

いまKMD内でのtechワークショップを企画している。学んでもらいたいことをベースに並べると、多すぎて収拾がつかなくなり、課題として制作してもらうものベースに考えるとコストがかかりすぎてしまいそうだったり時間がかかりすぎてしまいそうだったりする。どこまで半田付けをするのか、どこまでプログラミングをするのか、プロトタイプ基板はどうするのか、プログラミング言語はどうするべきか、なかなか収束がつかないというのが本音である。

こういうものを企画する時、結局は自分がいま勉強したい、と思えることを最終的に形にするほうがたぶんいいので、結局そこに落ちるのだろう。キーワードは全部考えて、全部作る。どうつなげるかを知る。というか知りたいので、そこを初心者もわくわく出来るように出来たらと思う。

で、最後にとってつけたように宣伝を。某わたくしの指導教官の先生がblogを始めました。気合いが入っているみたいなので、かなり気合いを入れて読んでみてください。

xtel Theory: Design Theory of Ubiquitous Content

2008年05月25日

フィールドワーク

久しぶりにフィールドワークをした。盗撮・盗聴に近い調査の場合、異色混合の男女6人が調査者であると明らかに怪しいということを身をもって知る。たしかに6人全員ぎょろぎょろしていたり、メモを取ったりしていたら相当怪しい。この手のフィールドワークは「質問」などをした途端、フィールドが激変してしまうので、参与観察することが果たしていいのか微妙である。最初から盗撮・盗聴系の調査か、調査の主旨を伝えて参加するかのどちらかしか無いような気がする。またいろいろ試してみたい。

2008年05月21日

無茶ぶり

今日はKMD奥出研のミーティングの日。先生が出張で不在ということで、とりあえず博士にコメントでもたのんどけばいいだろう的な無茶ぶりを受ける。90分以上発表にレビューを付けるというのは本当に疲れる。ふだんは先生の隣で寝てるような自分なので、10倍ぐらい集中しないとうまくできない。いや、そう言うといつもずっと寝てるみたいだが、8割くらいはちゃんと起きてるし、聞いている。ただ、2割ぐらい眠いor寝ているのは紛れもない事実・・・

無茶ぶりといえば先週のメディアデザイン基礎の授業。前日に「なんか資料作って発表して」との典型的無茶ぶりを受け、すでにタスクフルな日だったので、まんまと徹夜を強いられた。ここのところ寝ないで何かするという事態だけは避けられていたのだが、外的要因により撃沈。その日一日眠くてまっすぐ歩けない感じだった。まるで時差ぼけ。

ということで、もっと「こちらからも」無茶ぶりしようと思う。

2008年03月29日

入籍しました

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本日2008年3月29日、入籍しました。

区役所の夜間・休日受付の守衛さんが絵に描いたようないい人でした。初めて会った人からもらう、嘘のない祝福の言葉。

2008年02月16日

北欧デザイン

KMD教授に就任される稲蔭先生が北欧デザインの本を紹介していたのでふと思ったこと。

北欧のデザインはたしかにとてもかわいいし、その雰囲気の良さにも共感できる。だからといって、積極的に北欧で作られたものや、北欧っぽいデザインの物を皆競って揃え、家の中に置いていくというのはどうも気持ち悪いなと思う。そういう自分も現実にはもちろんやりかねないのだが。

北欧に限らずヨーロッパのデザインのほとんどは日常生活の中に普通に存在している。つまり、気取ったデザインをしようとか、きれいな物を作ろうといった特別な意識を持たなくても、個人やメーカーがそれぞれの物をデザインしているのである。つまり、文化レベル・精神レベルで多くの人の間にデザインする力が共有されているのである。

ということは、日本では今、その力が大衆化されていなく、多くのデザインに魅力が感じられないのである。だからこそ、北欧デザインだとか、デザイナーズなんたらだとかってのが流行る。そして結構なお値段がついて売られたりする。そして、そういうことを気にする人は結構なお金を払ってそのような物を揃え、インテリア雑誌かなんかで取り上げられたりする。でも、ヨーロッパの人からすれば、その行為はとても気持ち悪いに違いない。だって、自分たちは何の意識もしないで買ったり使ったり作っているものが趣向品のように扱われているのである。

僕が実現したいことの一つとして、日本人ひとりひとりがデザインする力を普通に身につけられる社会の仕組みや教育環境がある。つまり、皆積極的に北欧デザインのような物を取り入れることを推進するのではなく、100円で売られている物から何億円の物にいたるまで、すべての日本人が、それぞれによいと思うデザインを作り出せるようになる仕掛けこそが推進されるべきだと思う。

そしてそのデザインは必ずしも見た目や形、機能だけでなく、「しつらえる」ことのすべての要素についてである。現代を生きる身としては推測の域を出ないが、たぶん昔は、日本人も「しつらえる」ことをとても大切にしていて、皆デザインする力を持っていたのだと思う。だとすれば、失われつつあるデザインする力を取り戻せばいいのかもしれない。

今は一学生として大したことはできていないが、ある種自分への戒めとして、感じていることを記してみました。

2008年02月09日

Media Design Tours 2008 + OK Lab. Final

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直前の告知となりましたが、修士研究としてまとめたCaraClockという作品を本日9日丸の内 三菱コンファレンススクエア M+で行われるMedia Design Tours 2008、および13日にSFC θ館にて行われるSFC奥出研究室としての最終発表会OK Lab. Finalに出展します。

本日のMedia Design Toursは一般の方も気軽に入れるように会場ですのでお時間ある方はぜひお越しください。奥出研究室の最終発表の方では奥出研究室各プロジェクトのプレゼンテーション・デモなど満載ですので、研究室に興味のある方はぜひお越しください。もちろん、身内の方に披露する機会でもありますので、卒業生・関係者の皆様もどうぞお越しください。

CaraClockはMASTABAに続いて制作している死者の記憶を子孫に伝えるためのインタラクティブ写真立てです。なお、今回の展示が公の場での初公開となります。詳しい紹介資料やwebページなどはまだ用意できていませんが、追って制作する予定です。今後、学会や展覧会などでも発表できればと思います。

2008年01月18日

修士論文提出

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遅ればせながら、去る15日に修士論文を提出してきました。無駄にMASTERS3人でラベルだけ統一するという暴挙に出つつ、できれば中身はあまり見ないでくれと言う本音もありつつ、とりあえず無事出せました。

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というのは実は少し嘘で、提出しようと思ったら表紙に「修士論文 平成19年度(2007年度)」と書けと事務の人に言われてしまったり、僕ではないですが、申請したタイトルと違うじゃねーか!と言われて直す人がいたりで、一度受理を拒否され戻されるという恥ずかしい事態に。

再提出しにいったものの、約一名、提出票を直さずに出そうとして怒られる人いたりでしたが、何とか無事提出しました。ということで、いよいよ最終試験を終え、合格できれば修了予定となりました。アクシデントを起こさないようがんばります・・・

2008年01月14日

修士論文とwii

修士論文の提出期限は15日。どうにか9割方終わり、あとはアブスト書いて表紙作って、時間があるだけ読み直して文章を直すだけ。正直やりきれない部分・納得のいかない部分が多々あるのだが、この執着を常に感じながら生活できればなと終わってもないのに思っている。

寝起きが悪く、いままで朝起きて、飯食った後にデスクに向かうと眠くて眠くて何も出来ない・・・というケースがよくあったのだが、朝10分間wiiで遊んでから取りかかると非常に調子がいい。別にwiiじゃなくてもいいんだろうけど、文字通りウォーミングアップは大事である。

修論書いてる間、ずっと規則正しい生活でやっていたのだが、今日はもうこんな時間。とりあえず出し終わるまでもう一度集中してやらないと。寝て、起きてから。

2008年01月01日

僕が研究する理由・結婚する理由(2008年の抱負)

僕は今年、大きく分けて2つのことに取り組む。1つめは今春より、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科博士課程に進学し、学生として研究を続けること。(あくまで進学予定である)2つめは、3月末に結婚して2人で新生活を始めること。(こちらは99%確実)この2つは一見まったくばらばらで関連のない事柄に思えるが、僕にとっては共にひとつの大きな世界を作るための行動である。

僕が作りたい世界とは、この世に生まれるすべての人が創造的に作りあげる世界である。すべての人が創造的に作り上げる世界とは、決して大それたことではない。毎日汗水流して働いて、産業を維持・発展させている人たちは少なからずこの世界を作り上げている。一方、家庭を支え、食事を作り、一家を世界へ送り出す者はこの世界を作り出す原動力だといえる。当たり前だが経済活動は世界を作る基盤である。

世界を作ることは経済活動だけではない。おじいちゃんとおばあちゃんにプレゼントするために絵を描く幼稚園に入りたてのあなた。友達の誕生日に寄せ書きを作ってプレゼントする中学生のあなた。好きな子の気を引きたくて、どうしていいのかわからなくて、ひとりで悩む高校生のあなた。彼女にプロポーズするあなた。結婚式を演出するあなた。生まれたての我が子が成長する様子を写真や映像に収めるあなた。お正月、親戚一同が寄り集まって毎年恒例の大家族になるあなた。世の中にあふれる創造的な行為はすべて世界を作り出し、動かしている。少なくとも僕は世界をこう見ている。私たちの世界が文化的にも精神的にも「豊か」なのはすべての人々が持つ創造的な気持ちと創造的な行いがあるからだと。

僕は2002年に慶應義塾大学SFCに入学し、2004年に奥出研究室の門を叩いた。それ以来「デザイン」を研究してる。デザインを研究するとはなんとも気持ち悪いことだなあと、思う方も多いだろう。実際、その頃は研究なんてほとんどしていなくてただ何かをデザインしているだけだった。奥出研究室が取り組んでいるのはインタラクションデザインと呼ばれる分野である。プロダクトデザインがプロダクトそのものをデザインする対象としているとするならば、インタラクションデザインは人とプロダクトとのインタラクションやプロダクトを通した人と人とのインタラクションをデザインの対象としている。ところが、実際にデザインするのはプロダクトやサービスである。なんだかややこしいな。いろんなことをすっ飛ばして(今思いつく最良の)結論を言うならば、インタラクションのデザインとは人々が暮らす世界のデザインに他ならない。インタラクションデザインを行うことは、それ自体で世界を作ることにつながる。実際にデザインを行い、提示することで新しい世界を提案することが出来る。新しい世界の創出は学問的な貢献に値する。今のところ、この貢献を世に伝えていくのがデザインを研究することだと考えている。

僕が研究してることを抽象的に言うならば、文化的・精神的なレベルで人々が暮らす世界を豊かにする(モノをデザインして提案する)ことである。今、僕が暮らす世界、特に日本は文化的・精神的に豊かではないと思う。経済の不安が文化的・精神的不安を引き起こすという主張もあるだろうがそうは考えない。文化的・精神的に豊かであれば、経済が多少傾いていてもポジティブに向き合えるのではないか。経済的に潤っているときは文化的・精神的な豊かさの欠落に目をつぶっていられるのかもしれない。連日報道される理解不能な凶悪犯罪、「偽装」、人を欺いてまで利益を上げようとする企業、自分が親元で暮らせるからといって毎日ぼーっとしてるだけで働かない人、要するに金さえ足りていれば他人に世界に貢献する気のない人、無計画に子供を産んで育児放棄する親、ろくにしつけもせずに学校に文句を言う親、高級車は買うけど給食費はらわねーぞな親……。このような人たちが文化的に精神的なレベルで人間として完全に麻痺してしまっているのは否めないだろう。こんな人が増殖してしまう社会をどうにかしたいというときに、僕たちは政治家や官僚として「政策」をつくったり、社会運動などをしてどうにかするという立場を取らない。あくまで「世界をデザインすること」で取り組んでいる。

ではなぜ博士課程に行くのか。実はこれは単純に研究を続けたいのとは別の次元の話である。その理由を一言で言うなら「デザインをする人間こそ学問的に高いレベルにあるべきだ」と考えるからである。もしくは、今後世界中の人がそう考えるようになるために自ら道を作りたいからである。現在日本に、「デザイナー=高学歴」などと思う人はまずいないだろう。むしろ、奇抜なことを思いつけるか、天性の才能とか、勉強はしたことないけど美的センス抜群……とまでいうと大げさかもしれないが、なんか特殊能力・専門能力であり一般人の進路とは違うようなイメージがあるのは事実だろう。しかし、人々が暮らす世界をデザインする人みんながみんな、そんなことでいいのだろうか。デザインというのは政治家や企業家より学問的な修練が必要なのではないのか。僕はデザインを外野から眺めるような研究者になるつもりはないし、大学で地位をあげて上り詰めたいなんて欲求はさらさらない。どんな身分であっても何かデザインしていたいだけである。むしろ僕のように天才でもなければ人より秀でるような特技もない人間をあざ笑うかのごとく、もっと才能のある人や実力のある人(たとえば今なら医者や弁護士を目指そうなんて思う人)が「博士号を取ってデザイナーになりたい」「デザイナーになって世界を変えるんだ」などと思えるような流れが出来てくれればこの上なくうれしいことでる。メディアデザイン研究科はそう言う人を排出するべきだと思う。

「結婚」の2文字に驚愕?期待?して読み進めてしまった方には気の毒な感じで長い文章になったが、ここからが僕が結婚する理由について。

僕が研究を行う上で不可欠な文化的・精神的な感受性の半分は彼女とともに過ごすことにより支えられている。逆に彼女の感受性の半分も僕が支えていると思う。彼女は僕以上にデザインの感受性があり、表現者であり、創造的に世界を作り出す力がある人だ。彼女とともに時間を過ごすようになってから約4年、それは奥出研究室に入るより前からである。もしかしたら彼女と時間を過ごし、彼女が僕に影響を与えていなかったら、僕はこの分野に進んでいなかったかもしれないし、これまでに制作した作品も生まれていなかったかもしれないと心から思う。もちろん共に制作したチームのメンバーがいたからこその今であるが、そもそも僕にモチベーションがなければ影も形もなかった作品ばかりである。

それは理由になってないじゃないか?と言うのはごもっともな話。1番の理由はごく簡単。今、2人で暮らしたいから。その方が、今まで以上に僕は創造的になれて、彼女もよりそうなると思うからだ。家庭を作るということの創造性を早く経験したいというのも正直な気持ちだ。もし、2人で暮らさなければ時間的制約が大きく疎遠にならざるを得ないかもしれない。それはお互いにとってもったいないことだと思うのだ。2番目の理由は進学することに責任を持ちたいから。現在「高学歴ワーキングプア」などと叫ばれているように、(少なくとも日本では)博士を出ようと出まいと生活の保証なんかない。むしろ出た方が不利なケースさえある。極論かもしれないが「博士を出るので一緒に暮らしてください」も「博士を出たので一緒に暮らしてください」と僕にとっては大差ない。収入の見込みだって大差ない。それならば、一緒に暮らしたいと思う時期に結婚したい、という思いで決めた。3番目以降はここで書くようなことではないので省略。もちろん、経済的に楽でないし、困難なことが山積みのようにあるにも関わらず、それにも関わらず快諾してくれた彼女に感謝しても仕切れない。これから「養われる」わけでもなく、近い(遠い?)将来「養う」わけでもない、新しい生活が待っている。

最後にこの記事で初めて「僕たちが結婚すること」を知った方々へ。某研究室の方々、一人一人に逐一伝えること、もしくは(瓜生の結婚話なんか聞きたくもねーよという人が含まれる中で)大勢の前で伝えることのどちらも好ましくないのではないかと考え、結局blogへのエントリーという形にしました。某会社の社員の皆様、4人が揃った機会にお伝えしようと思っていたのですが、ここ2ヶ月全員揃ったことが一度もなかったのですよ!ミーティングにはちゃんと出席しましょう!その他の友人、知り合いの皆様、「詳しく聞かせろ」ということでしたらなんなりご連絡ください。ちなみに、結婚式などは挙げるつもりですが、今すぐには行いません。そして、ベイビーはいませんよ。念のため。

遅れましたが皆様あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年が悪い年だったなどと言えるわけがないので、全力でがんばります。

2007年12月07日

DAF東京2007にSound Candy出展中

現在、お台場パナソニックセンター東京にて開催されているデジタルアートフェスティバル東京2007(DAF東京2007)Sound Candyを出展中です。11日(火)まで毎日展示中ですので、ご都合よろしい方ぜひご来場下さい。

実は一昨年はmoo-pongも出展させていただいたこのイベント、2年前に比べてだいぶパワーアップしている印象があります。デジタルアートの分野も徐々に成熟しつつ、競争が激しくなってるのではないでしょうか。Sound Candyも負けず劣らずアート色満載な展示をしています?

2007年11月21日

ORF2007 + Sound Candy + デジスタ放送

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Sound Candy

SFC ORF2007(SFC Open Research Forum 2007)が六本木ヒルズ森タワー40階(アカデミーヒルズ40)にて11月22日23日の2日間行われます。今年も奥出研究室が出展してますので、お時間ある方、ぜひご来場いただければ幸いです。

今年は昨年から参加している石橋さんを中心としたプロジェクトでの成果、Sound Candyを展示します。Sound Candyは一見、ふわふわしたドーナツみたいなかたまりですが、音を使って創造的に"無限に"遊びを作れてしまう憎たらしいおもちゃなのです。ORF会場では実際に身につけたりいろいろなものにくっつけたりして遊ぶことができますので、ぜひ実際に使ってみてください。ちなみに写真右上に写っている犬は我が家のチャッキーという名の犬です。彼はもう9歳なのですが、年甲斐もなく毎日わんわん吠えています。笑

そして、ORF1日目、22日の深夜24時、NHK BS2デジタルスタジアムにSound Candyが登場します。公園でのシュールな映像や痛々しいインタビュー、スタジオでの収録などの様子が赤裸々に公開されてしまいます。ですが、映像としてはSound Candyの魅力を伝えるものに仕上がっていると思うので、ぜひ皆さんご覧になってください。なお、BS見られないよ、という方は声をかけていただければDVDなどにしてお渡しします。あくまで個人でのやり取りに限りますのでご了承ください。

それでは奥出研究室ORF、Sound Candyともどもよろしくお願いします。

- - リンク集 - -
奥出研究室 ORF2007「Touch Our New Life」
Sound Candy Official Site
[mixi] Sound Candyコミュニティ
NHK BS2デジタルスタジアム

2007年09月24日

奥出研のプロデューサー(超長文です)

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気づけば土善は3回目。年々少しずつボロくなっていくのが心配だが、すっかり奥出研お馴染となった土善での宿でした。合宿所について、いろいろやりながらまず感じたことは、あー上(自分より先輩の人)が本当にいなくなったんだなあということ。そして時間を追うごとに実感してきたのが、奥出研からプロデューサーが消えていったということ。

今期の奥出研究室のシラバスを見てみると、まっさきに「奥出研究室は21世紀のモノつくりにおけるプロデュースを体系的に学んでいきます。」とある。つまり、研究室ではただモノつくって褒められればいいのではなく、モノ作りをプロデュースしないといけない。これはどういうことだろうか。

もちろん「モノを作れる人になる」というのも大変良い目標だと思う。世間ではえせ批評家みたいな素人がいっぱいいて、何かにつけて他者を批判したり揚げ足取ったりしてテレビやネットの世界でもてはやされている。そんな状況をみて、そんなんじゃだめだ、他人の文句言う前に、「自分でもっといい意見やものを作ってみせればいいんだ!」と思うのはとても健全なことだし、日本中の人がそうなったらどんなに素敵なことだろうかと思う。

しかし、そう思ったとき、自分の力だけで実現できることがどれだけあるだろうかと考えてみると、意外と少ない。それでも結構優秀な人は自分だけでサクサク作れてしまう。そして、勉強熱心な人はさまざまさ方法や技術を身につけて結構器用にいろいろつくれてしまう。これは形あるものに限った話ではなく、サービスだとか政策といったものにもおそらく共通する。いわゆる天才肌という人も中にはいるものだ。

端的に言って、そういう人はすごいし、尊敬できる。実際、そういう人がいないと社会は動かない。しかし、「ものを作れる人」にまっとうな哲学や倫理観が伴っているかは全く別の問題である。センセーショナルで人々の注目を引くものをたくさん作るれるという人はよくいるが、作った人だけが褒められて、他のだれ一人として役に立たないようなものに存在価値はあるのだろうか。僕は、「無駄なものは不要だ」とは到底思わないのでそういうものがあってももちろんいいと思う。センセーショナルなものは人々をわくわく興奮させるし、かわいいものはその存在だけでどこか暖かい気持ちになれる。役に立たないものでも結構価値がある。

ところが、倫理的にまずいこととか、哲学的にまずいことも市場原理に乗っ取っているのか結構もてはやされてしまうのが現実である。たとえば死者の過去を洗いざらしにしてもてはやすようなwebサイトはアメリカなんかだとかなりの数存在する。(→一例サバからマグロを作るなんてニュースが最近でていたが、消費者市場主義、利益の上がる大研究だとして、これ、もてはやされるべきなのだろうか?一般大衆が望むことって本当に正しいの?ちっぽけな目的で、生態系を人間が勝手に操作して本当にいいの?そもそもなんでマグロ捕れなくなったのか反省しないの?人々の役に立てばいいの?・・・。「ものを作れる人」は大変結構なことだが、このような倫理観や物事はこうなるべきだという哲学的感性も備わっていてほしい。間違ってもビジネスの成功が全てとか、儲かるものは全てマル!だけの考えは違う。要素の一部ではあるとは思うが、完全無欠だと主張する人がいても、僕は討論する気はない。

なかなかプロデューサーの話にいかないが、僕が言いたいのは、個人で作ることを否定するということではない。むしろ「作れる個人」を尊敬する立場から、他者とコラボレーションしながら、もの作りをプロデュースする意味を考えてみたい。もちろん、先生や他の奥出研のOBや年寄り格もみなそれぞれに、さまざまな場面でいろいろなことを言っていると思うので、それを全部網羅するわけではない。あくまで、僕が今、思うことを言う。

プロデュースが必要だということの裏には、暗黙の了解としてコラボレーションが必要であるということが含まれている。ホットな話題で言えば総理大臣は国家のプロデューサーであって、村役場の職員がするような事務処理からサミットへ出席するために外国に行きます・・・なんてことを1から10まですべて自力ではしない。大げさに言えば国民全体のコラボレーションを前提にプロデューサーという立場は存在する。狭い意味で言えば、総理大臣と国務大臣のコラボレーションがある。どこだかの国の首相は、生まれてこのかた温室育ちで、自分と気の合わない人とコラボレーションしたことがなかったというのだから呆れるばかり・・・なのは、皆さんご承知でしょう。根も葉もない話だが、僕はこの半年くらい凶悪な犯罪が多発しているのは、人々の「プロデューサー」に対する不安、信頼感の欠落によるところが結構あるのではないかと思う。

次元が全然違う話だと言われるかもしれないが、政治が国作りなら、僕らはもの作り。いずれにしろ人の手を借りないですべて一人の力でできるものには限りがある。つまり、必然とコラボレーションが必要となるのは誰でも分かる。前述した通り、なかには、自分一人で素晴らしいものを作る人もいるが、そのつくるものの数には限界がある。国作りの主導権を争う政治家が、1〜2点に焦点を絞って議論しよう!なんて話はよくあるが、実際には何千万もの課題が同時並行して世の中で動いている。そのために役所の職員がたくさんいるわけだし、この現実だってコラボレーションである。とても、一人ですべて負いきれるような数ではない。ものづくりのプロデューサーも一生の中でさまざまな難局に立ち向かう。自分一人で負い切れるような仕事はほとんどない。

奥出研でいうプロデューサーは、一国を背負うほどのものかはわからないが、まったく違う意味だとは思わない。つまり、研究室内の活動で何か作って成果出して、褒められることが目的なのではなく、奥出研を卒業しても自分がぶつかる様々な局面において、物事をプロデュースする、とくにものづくりをプロデュースできる人間になることが奥出研が目指しているプロデューサー像なのではないだろうか。奥出研のとあえて言ったが、これは世界の中でも必要とされている能力だと思うし、メディアデザイン研究科が目指すものとも関連すると思う。

いちばん上の写真は、僕と臼井君(他多数の協力の元)と共にmoo-pongを制作・プロデュースしている和田さん。最近ではエロサイトの管理人としての知名度が高いようだが、彼は僕がいちばん近くで見ていたもの作りのプロデューサーだった。和田さんはフィジカルコンピューティング・インタラクションデザインの技術力が皆無に近かった状態から、いかにも奥出研とは無縁そうなSIGGRAPH2005 Emerging Technologiesに本当に通してしまった・・・なんていうと大げさだが嘘ではない。和田さんはその後ながらく旅に出てしまったり、そのおかげで、僕にとってのいろいろ楽しい楽しい日々がその後待ち受けていたりしたので、けっして完ぺきなプロデューサーだった!と強調してるのではない。プロデュースする意志、プロジェクトを成し遂げるぞ!というこころ構えを肌で感じた初めての人だったということを言いたいのである。僕が入った頃の奥出研はみんなそれぞれがプロデューサー魂を持っていたし、実際ひとりひとりができるレベルの何十倍ものパワーを生み出していた。

ではやっと本題。なぜ、奥出研からプロデューサーが消えてしまったのだろうか。

1. 残された年寄り格がだらしないから
これは大変申し訳ないが否めない事実で、和田さんが現役だった時代には奥出研にはさまざまなタイプのプロデューサーがいて、合宿のプロデュースに始まり、ORFのプロデュース、もの作りのプロジェクトプロデュース、研究会の運営、工房のプロデュースなどを実にクリエイティブに行なっていた。ところがその黄金期を経て残った僕のような人を見ると見劣りする。これ事実。

2.ひとりの人間がプロデュースするプロジェクトが減少した
1番目は半分本当・半分嘘みたいな感じだが、これはたぶん本当。この原因は学部生のうちから1つのプロダクトに固執する傾向が強くなってきたため、新しいチームを組んで取り組むという経験そのものが減ってしまった。1つのプロジェクトに本気で取り組むのは悪いことではないが、やみくもに、がむしゃらに、学会通すぞ!、修士号取るぞ!といった意気込みだけではもの作りのプロデューサーにはなれない。実際僕がいままでしてきたプロジェクトの数もかなり少ない。訳ありでひとりで作ったカヤゴモリ、moo-pongに関わってた1年間の次にMASTABA、その後はMASTERSという反則プロジェクトくらいで、自分がプロデューサーとなって取り組んだといえるのはMASTABAくらいである。あとは思い出したくもないORFのプロデュースくらいだろうか。もう丸3年半奥出研にいるが結構少ない。

3.アカデミズムとコラボレーションのプロデューサーの矛盾
大学教員の権力争いとか出世争いなんて言葉を耳にしたことのある人も多いだろう。現在のアカデミズムでは普通、コラボレーションだとか、もの作りをプロデュースすることでは評価を受けない。つまり、「自分の研究」は「僕一人のもの!」、「僕ひとりで作った方が、僕が褒められるから、その方がいいの!僕、教授になりたい!」・・・失礼承知でこんなこと言ってますが、だいたい間違ってないでしょう。奥出研もいまでこそ毎年UbiCompやSIGGRAPHなどの学会にコンスタントに出たりしているが、一昔前はアカデミズムと結構遠いところで活動していた。となると、チーム一丸となってものを作る意味・・・ってなんだ?となった時、とにかく、チーム全員が走りきる、自分たちのやりたかったことを成し遂げる!それができないと悔しい!みたいなところに行き着く感があった。すると、そこにはプロデューサーが生まれる。プロジェクトを成し遂げるのがプロデューサーであって、あるタスクをこなすために分担作業をするチームにはプロデューサーは要らない。プロデューサーは私利私欲を貯めるのとはちょっと違う。んーん、プロデューサーって何だ?アカデミズムでも貢献できるプロデューサーって何だ?これは先生がたぶん語ってくれる。たぶん。

4. 研究室の中だけではプロデューサーの価値がわからない
「別にプロデュースなんてわけ分んないことやんなくても、ほら、技術できるひと、形作れるひとと、ビデオとれる人・・・が集まって分担作業すれば、なんかできるじゃないすか!」「ほら、先生も結構褒めてるし、こんな俺らでも結構いいものつくれんじゃないすか!」「あとなんか、論文の書き方とか勉強すれば完ぺきじゃないですか!」みたいなのは、まあ言わんとしていることはわかる。実際にできるし、結構いろいろなところで褒められるのも事実。では、あえて自分を踏み台にして語ると、僕とか、特に際立った技術力もないし、3DCADとか全然使えないし、ビデオとか素人ですし、そういう意味では奥出研でたいした経験は積めていない、スキルも身についていないとも言える。でも、自信を持っていえるのは奥出研の中でプロデュースしたり、プロデュースされたりしながらいままで関わってきたプロジェクトは、どれも自分の力以上なものに仕上がってるということ。プロジェクトに関わる全員の力を足し合わせても足りない、掛け合わせているんじゃないだろうか?というくらいなモノばかりである。つまり、そこにあるのはプロデュースの力。僕はプロデュースとか正直苦手だし、他の人にプロデュースしてもらってどうにかこうにか作っているケースが多いのだが、それでも下手なりにがんばろうという意志は持てるようになってる。安部さんには及びませんが、実際、僕も苦手な人とうまくやるのは苦手だし、コラボレーションとか常に大変だなあと思う。

5. プロデュースする意味が暗黙の了解的だった
ここまで話しておいて、いっこうに、プロデュースってなに?何のためにするの?って問題に本質的に踏み込めない。はっきり言ってしまえば僕だってよくわからない。たとえば、企業なら「利益を上げる」という目標が普通に有り、そのためにはコラボレーションとプロデュースの考え方は間違いなく必要になる。また、アカデミズムでは一人でのし上がった方が私腹を肥やせるため、一流の学者になりたい!なんて人はなかなかコラボレーションとかをしたがらないし、プロデュースなんてしないで一人でこもって研究する。(もちろん、そうじゃない人もいっぱいいますよ。あくまで極論)でも、先にも述べた通り、物事を行なう上での哲学とか倫理とか考えた場合、企業だって儲けるだけが目標であってはいけないし、学者だって自分の地位と名声を上げるためだけじゃ随分ちっぽけで魅力のない職業に思えてしまう。自分一人でやるよりも、何千倍も素敵なことができて、作れて、実現できるから、コラボレーションして、コラボレーションの中でプロジェクトをプロデュースしたほうがいいじゃないか。その程度のことしか僕には言えない。僕はこの文章の中で、あえて「社会性のあるモノ作り」とか、「人々の経験を豊かにする」のような今まで奥出研で言ってきたことばを使わなかった。なぜなら、そんな言葉や概念で理解できるなら、別段ながながと言うようなことでもないからである。プロデュースって何?何のためにするの?という問題は、これから、いろいろな人に真剣に考えてほしいと思うし、自分も考えたいと思う。

参考文献とか、たぶん、いろいろあると思う。僕はそういうの面倒なので、この人あたりに聞くとたぶん答えてくれます。よろしく。

2007年09月23日

MASTABAがカナダの雑誌「PUBLIC」に掲載

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MASTABAが掲載されたページ

去年発行されていたらしいのですが、MASTABAがカナダのヨーク大学で制作されている雑誌「PUBLIC」に掲載されました。もしかしら大学の機関誌であまり公に売られてないのかもしれません。実はだいぶ前に向こうからこちらに連絡しようとしたところメールが届かなかったらしく、今の今まで発行されたことに気づかないでいました。この前webを徘徊中にGoogle先生が偶然教えてくれたので、こちらから連絡を取ってみたら雑誌を送ってきてくれました。

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雑誌の表紙

この雑誌の編集者、Caitlin FisherさんはSIGGRAPH2006のsketchesでの発表を聞いてこの雑誌に掲載してくれました。数少ない縁ですが、こうして取り上げてもらえるのはとてもうれしいことです。

ちなみに、付属のDVDをプレーヤーに挿入した瞬間、MASTABAが現れて爆笑しました。DVDのタイトルメニューの背景が全部MASTABAになっていたのです。(→写真商会のFlickr!より>)DVDだけじゃなくて表紙もMASTABAにしてくれればよかったりと思ったり・・・。(ちなみに表紙の写真はMIT MEDIA LAB.の作品らしい)

なお、研究室のガラステーブルに置いておいたので、奥出研の人は自由に見てあげてください。MASTABA以外にも記憶とかメッセージとかに関する作品がいくつか収められていて興味深いです。もし、この雑誌(=「PUBLIC 34」)を手に入れたい、見てみたいという方がいれば1〜2部なら余りがあるのでご連絡下さい。

2007年08月02日

2007年春学期 奥出研最終発表の日 24時間

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MASTERS 解散? 記念写真

今期はいろいろペース配分がうまく行かない学期でしたがどうにかこうにかがんばれました。たぶん。古川先生のblogに思いっきり名指しで載っていたので何か書かないと!ということでエントリーします。というのも、今ごろフジロック・・・ではなくて、まさにあの日(最終発表の朝)にフジロックから帰ってきたのです。

以下、2007年8月30日の出来事。

[前日29日 21:30]
Clap Your Hands Say Yeah を見終わって飯食ったりビール飲んだりまったりする。

[30日 0:00]
帰りのバスに乗るために準備

[1:30]
苗場発新宿行きのバスに乗る。車中、多少寝る。でも、多少。

[5:00]
新宿着

[7:30]
シャワー浴びて、DNPへ

[9:00]
DNP着。掃除。

[11:00]
最終発表はじまる。白鳥さんと最終動作チェック・・・のはずがいろいろ問題があり難航。結局発表直前まで調整する。先学期同様他の人のが見れなくて残念。今期は途中(先生不在の時に)偉そうにコメントしたりしてただけにちゃんと見たかったなあ・・・。

[17:30]
最終発表する。発表直前寝不足で吐き気がしたけどどうにか大丈夫だった。そしてやつら(プロトタイプ)は本番に強かったようで一発で動いた。あれだけいろいろ悩ませおった割には優等生だった。いや、これからもっとがんばりますが・・・。

[20:00]
打ち上げ。臼井君に卒業メッセージを贈る。準備をはじめたのは発表終わってからでしたが・・・。自分でもこんな日が来るとは思ってなかったし、臼井君が「瓜生君はこういうの苦手だからやってくれないと思ってた」と。良くわかってらっしゃる(笑)畑山さん、臼井君修了おめでとうございます。早く戻ってきて。その後、色々悪ノリしすぎました。顔が真っ赤だったのは酔っぱらっていたのより苗場で日焼けしたのがかなりの原因。

[22:00]
なぜかwiiやったりトトロ見たり。カオス。

[0:00]
湯快爽快(スーパー銭湯)に行く。あれ、30日終わった・・・。

ということで、みなさまお疲れさまでした。

2007年07月26日

3年ぶり、「フジロック参戦宣言」かと思いきや。

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どうもblogを更新するのが億劫になっていたようですが、元気です。金曜よりフジロック行ってきます。3年ぶりの参戦です。奥出研最終発表の日の朝、夜行バスで帰ってきます。

3年前2004年の最終発表と言えば僕が奥出研で初めて迎えた最終発表の日でした。「2007年の」最終発表のために過去の写真を整理していたのですが、上の写真もいっしょに出てきました。薄暗がりの中、このヘンチクリンな遊具の中でぼーっと景色を眺めながら思いついた「カヤゴモリ」という作品をその最終発表で建て、その足で僕は苗場に旅立ちました。それ以来のフジロック参戦です。

奥出研は今でこそ様々な技術を駆使して自分たちの作品を「動かす」ことが出来るようになりましたが、その当時は動くものなどほとんど作れませんでした。カヤゴモリはその中でも(決して自慢できませんが)目立って「動かない」作品でした。ですが、動かないからこそ、「それを使ってみたいなあ」「こんなものがある未来に暮らしたいなあ」とプレゼンだけで見ている人に思わせることに必死でした。しかし、いくらがんばっても「こんなものいらねえよ、そもそも机上の空論だろ」と思う人もたくさんいるものです。

今はみな、少しがんばればだいたい動くものが作れます。動くものは一見だいたい面白いものです。動くものが作れると一見面白いのでそれで満足してしまうのかもしれませんが、人をぐっとひきつけるもの、心から喜んでもらえるものは動こうが動かまいが関係ない場合が多いです。もっというと、自分たちが楽しむだけなら動けば満足するでしょう。でも一人でも他人を楽しませたいならただ動けばいいというものではありません。本気で自分をさらけ出して伝えることが必要です。その「伝える」行為によって、時には恥ずかしい思いをするでしょうし、時には冷たい言葉をもらったり厳しく酷評されることもあるでしょう。プライドの高い人はだいたい腹を立てますし、センシティブな人は心から傷つくことでしょう。

とりあえず、もうビジョンだとかコンセプトだとか、議論している暇があったら、本気で見る人体験する人を魅了するエンターテイナーになることに時間を費やしてほしいと強く思います。自分たちが褒められたいとか、怒られたくないとかそんなちっぽけなことのためにものをつくるなら、最初からこんな面倒くさくて厄介なことばかり、大変なこともたくさんある研究室にいなければいいと思います。エンターテイナーは高い技術力を持っているだけでもなく、ただひとを笑わせるだけでもありません。馬鹿なことだろうがちっぽけなことだろうが、常に真剣に観客に向き合います。観客が全員YESと言えば勝ちというわけでもありませんが、1人の観客だけでもYESと言ってくれれば敗けというわけでもありません。しかし、観客が全員NOと言えば、いくら完ぺきな作品だろうと用意周到なステージだろうと敗北です。敗北のステージに理屈や良い訳は通用しません。

奥出研究室にいる人が立てるステージの下の観客は、ただショーを観るだけじゃなくステージに一緒に上がって共に体験する権利があるのです。それが「動く」「インタラクション出来る」ということではないかと僕は思います。ですが、動けばイイって問題でもない。少ししか動かなくてもぐっと来るステージは作れます。

今回の最終発表がそんな素敵なショーの集まりであったらと期待しながら、ひと足早く超一流のエンターテイナーたちのステージに参加してこようと思います。

2007年06月30日

ワークショップコレクション2007

明日明後日(6/30、7/1)慶應義塾大学 三田キャンパス西校舎にて子供のためのワークショップの展覧会「ワークショップコレクション2007」が開催されます。

奥出研究室からはmoo-pongSound CandyHipmateの3点を展示します。展示責任者なので週末両日とも三田にいます。子供さんのいる方はもちろん、作品に興味のある人ならどなたでも入場できますのでぜひお越しください。

2007年06月17日

ACE2007 2nd Day + Social Event

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ACE2007、2日目の模様。ホテルの部屋にて写真のサムネイルだけ用意してたのですが、時間がなくて結局帰国してからの更新です。2日目、3日目はデモタイム!のはずだったのですが、実質2日目だけが盛り上がり、3日目は閑散としていました。これは主催者のマネジメントミスでしょう。写真は大盛況?のHipMate、吉田大先生。とりあえず、みんな写真撮ってた。

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サウンドキャンディーは3日目の予定だったのですが、途中から参戦。振り返ってみれば2日目にしっかりやっておけばよかったと思います。3日目はちゃんと3つ動いてたのですがほとんど人がいませんでした。

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デモ会場の様子。

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学会後、Social Eventなるものに出発。何やら分けのわからないからくり屋敷に連れていかれました。水ぶっ掛けまくられました。ここの貴族はとても暇だったらしい。その後立食パーティー。何やら大人の話がちらほら聞けた。いや、聞いてないかも。

2007年06月14日

ACE2007 1st Day + Salzburg City Hill Tour + and more

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ザルツブルク滞在2日目、ACE2007の1日目。町には馬車が待機しています。どうしても日中はあまり出歩けないのが残念ですが。

記念撮影。

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デモの荷物が届きました。なんかでかい・・・。稲蔭研はかなりデカ物のようです。

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稲蔭研、植木さんの発表。

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1日目終了後、City Hills Tour なるものに参加する。高台に登って絶景を堪能・・・までは良かったのですが、徐々に雨が強くなり大変な感じに。このころ、吉田大先生は監禁命令を受けて一人実装。明日動くのか?

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なんか変なバンドみたいになった。

2007年06月12日

出発直前

さて、これから出発です。ウィーン経由でオーストリア・ザルツブルクへ。17日(日)に帰ってくる予定です。昨年、二度飛行機に乗り遅れましたが、今年こそは無事に帰ってきたいものです。それでは行って参ります。

2007年06月09日

ACE2007にてSound Candyのデモをします

昨年の春から石橋さんを中心として進めていたプロジェクトの初めての成果、「Sound Candy」を来週オーストリア・ザルツブルクで行われるACE2007で展示・デモします。

その準備も大詰めのため、とてもせわしい時間を過ごしているところです。火曜日の朝から出発して日曜に帰ってくる予定です。最近更新の少ないこのblogですが旅中はなるべく更新したいものです。

2007年04月01日

海、伊東、奥出研春合宿、カヤゴモリ

伊東, oklab, 奥出研, 合宿, 海

海に行ってきました。正確には奥出研の合宿でしたが、海に行ってきたことにしたいので海の様子を沢山のっけておきます。と・・・見せかけて・・・。

一枚目の写真、ちょうど川と海の境目の近くにかかる橋の下の様子。夕日が川を反射して橋の裏を照らしていた。近くでは子供たちが沢山遊んでいた。

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大きな船。

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小さな船。

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こちらは午前中。海岸には若芽が沢山でていた。

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でもね、こういうのはよくない。

今回の合宿で一番感じたことは、「あー人が変わった」といったポカーンとした印象です。僕を知る諸先輩方なら瓜生は奥出研に入ってそんなに長くないし、別段特技や技術があるわけでもないのは知っているはずですが、今残っている人たちはそんなこと知る余地もありません。「何度となく先生に褒められている先輩」みたいに思われるのも致し方ないことでしょう。思うことはひとつ、それに見合う人間にならなければいけないということです。

今年の春合宿で「も」なにやらとてつもなく救いようのない怪しいトイレを作ってしまいました。といいつつ、結構気に入っているのでここでは内容は明かしません。(簡単にいうと大自然のまっただ中で人目をはばからずに爽快に用を足すトイレです。)

この作品を見て、僕の奥出研での初めての作品、カヤゴモリを思い出した人がいるでしょうか。そして、カヤゴモリを思いつくまでに、僕が毎週毎週「海とお話しようとするたいへん狂った子」であったことを覚えている人もいると思います。何度となく行った鵠沼海岸の海のことは今でも忘れません。もちろん、毎週プレゼンするたびに先生に一蹴されていたことも忘れません。BOSTONSをやっていた時につらくて抜け出して行ったこともありました。

良い景色のあるところには、人工的な開発や施設は要らないと思います。ただ、ちょっとばかしコンピュータの力を借りて豊かな経験が出来るスペースを作れたらと思うのです。本音を言えば「別にコンピュータなんか要らないんじゃないのか?」と思うこともあります。でも、コンピュータの力を入れることで、日ごろのストレスや心に抱えるものを人工的なエンターテイメントで紛らわしている人たちが、少しでもそんな(コンピュータの力が少しだけ加わった)自然のある場所に行こうと思えばいいな、と心のどこかでずっと思い続けています。

カヤゴモリはよく「引きこもり支援ツール」だなんて言われることがありますが、そう言われてしまうのは僕のデザイン力が乏しいからです。本当は、みんな自然でも見に行ってほしいのです。バーチャルな空間の中で昔見た景色を見ることで、懐かしさを感じるかもしれません。本当は次の瞬間に、ああ、またあそこに行こう!今すぐ行こう!って思ってほしいのです。

伊東の海を見たのは2回目でした。前に見た時は風が強く、薄曇り、とても寒くてあまりいい印象がありませんでした。この3日間、1日たりとも同じ海を見ることはなく、どの海もとてもキレイで穏やかでした。

今学期もこつこつ何か作っていこうかな。

2007年03月11日

戦争終結

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戦争というかなんかの修業だったのかもしれませんが、とりあえず一週間くらいの引きこもり作業が今日、終わりました。何が終わったのかは上の写真から想像してみてください・・・。

どうでもいいですが、私、「英語受験」でSFCに一般入試で入学しました。そう、知る人は知っているかと思いますが、私はセンター試験で120点(/200点)満点しか取れない人でした。そんな私がSFCの英語受験で受かるというのは、きっと問題が悪いんでしょう。いまでもほとんど形式変わってないですよね。

あー、良く覚えています。SFCの英語の入試の時、ぶほーって鼻血だしたんですよ。私。別にそれはどうってことなかったんですが、「ティッシュ使ってもいいですか?」と試験官にきいたら超慌てふためきやがって大騒ぎしやがったんです。周りにいた人はさぞかし迷惑だったことでしょう。

あーこのままじゃ、ネタで終わる。くそーと、がんばったら当時の英語の足切りラインギリギリで通過。たしか144点(/200点)満点くらいだった。(たしか、いまは足切りライン以前より楽になってますよね。)なんかしらんが受かった。

それから5年後の今、とりあえず「英文法」の勉強がしたい、と切実に思います。
とか書いたら、Google広告にいい参考書の宣伝とかでる・・・かな・・・?

2007年02月25日

多磨霊園へ行く

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京王線に乗って多磨霊園に行ってきました。多磨霊園は有名な共同墓地なので、僕が説明するまでもなくさまざまな記事がネット上にあふれているので興味のある人は見てみてください。

今回は、いわゆる昔ながらのお墓や有名人のお墓を見るというよりも、壁墓地や芝生墓地といった集団墓地のようなものがどうなっているのかを調査することが目的でした。上の写真は壁墓地です。

多磨霊園

この写真は芝生墓地。両方ともお骨は墓石の中には入っていなく、別に納骨堂(下の写真)とよばれる建物に保管されているというものです。慢性的な墓地不足の解決方法として、東京都が導入したと言われています。

多磨霊園

最近はお墓を作らない人も増えているといいますが、自分たちの世代があの世に行く時期には、いったいお墓の事情はどうなっているのか、興味深く・・・ないですか?笑 

2007年02月10日

奥出研2006年度最終発表終了

気づくとずいぶん更新していなかったようで、気づけば最終発表が終わっていました。気づけば来期、奥出研に居る同期はなんと、自分とだけという事実を知って多少淋しくなりました。奥出研の一時代が終わったんだなーとつくづく思ってしまいます。

最終発表が終わり、拘束されることからは解放されたのですが、実際にはこの2月3月たくさんのミッションがあるので、計画的に時間を使えればと思います。まあ、オフ期はどうでもいいモノもたくさん作れるし、お勉強もいくらでもできる時間ですね。次の半年は色々な意味で大きな通過ポイント。

で、とりあえず次回のライブが目前に迫ってきたので、ここ3日はここに力を入れますよー。新曲や古い曲もしっかり演奏できるように下準備しますよ。詳細は明日くらいに書こうかな。とりあえず、ここ見てください。ではでは。

2007年01月18日

疲れた

本当に精根尽きるかってくらい疲れたのはいつ以来だろう。基本的に自分を追い込んでもパフォーマンスの上がる人ではないので、本来疲れきるまで無茶したり残留したりするのは非効率なのだが、やむを得ない時もある。

本当に疲れていると目は起きていても全く持って頭が働かなくて、まだまだ直さないと・・・と思っても手が動かないってのも久しぶり。タウリン何グラム投入しても思考停止状態。心残りがないわけではないですが、今回の無茶で、事がよい方向に向かってくれればと願う次第。

ちなみに、自分の研究については学会応募を見送りました。あきらめたというよりは、方向性を変えるべきと判断したからです。半年くらいかけて本腰入れて形にしていければと思います。あー温泉行きたい。